どんなに知識があろうとも、そこに実践が伴わなければ、智慧は現れてこない。
我々は学者になるわけではありません。
瞑想による心のトレーニングで、智慧を身につけていくことが大切です。
しかし、瞑想中だけ心穏やかというのも考えものです。
瞑想によって得られた智慧が実生活に活かされていることが、何より重要なことではないだろうか。
私にとって、カウンセリングをすることと瞑想の指導をすることには、あまり大きな違いはありません。つまり、人間のことはわかっていないけれども、書物の知識ならば多くもっている人というのは、瞑想の教師(もしくは、カウンセラー)ではなくて、学者なのです。
— ウ・ジョーティカbot (@U_Jotika_bot) 2015, 12月 13
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